被災地通い17
あの311のあと、我が家のクロネコさんは急激に弱り、
1ヶ月後の4月5日に他界しました。
そのころは、計画停電があったり、原発騒ぎやペットボトルの水の騒ぎがあったりと、
我が家は、とても混乱していました。
未曾有の大震災と大混乱。
13歳のクロネコさんが、もの言わず天国へ行ってしまったこと。
僕は、何をすべきか、とても考えて悩みました。
僕は、今こそ奮い立つ運命にあるんだと、恥ずかしながら意気込みました。
幸いにも、僕の周りにも同じように奮い立とうとする友人がいました。
そして被災地通いが4月からスタートし、
いろんな経験をし、いろんな犠牲もしました。
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クロネコさんの1周忌を過ぎました。
母の仏前の横に並ぶ、クロネコさんの遺影。
「僕は、これでいいのかな?」と、母に声をかけ、そして、
「東北に行け、って言いたかったのか?」と、クロネコさんに声をかけます。
人生をどうしたらいいのか、誰も答えを言ってくれないけど、
やっぱり、どうしたらいいか、答えを求めたい心情は、しかたない。
でも、最後は、自分が決めるしかないんだね。
東北へは、来週また、行ってきます。
いいんだよね?
2012.04.21 | コメント(0) | トラックバック(2) | 走破日誌2012年
