旧美山町から少し飛んで、木ノ芽峠のあるR365交点から終点の敦賀市内まで紹介します。
新旧の北国街道(福井県南越前町・旧今庄町)

7世紀の大化の改新で日本全土統一が図られるとき、木嶺と呼ばれる険しい山脈を越えて北陸地方にアクセスするルートとして、木ノ芽峠が整備された。
そして、木ノ芽峠経由が官製の古代北陸道として使われるようになった。
しかし、中世になると、余呉まで舟運が使えるようになり、R365が継承している栃ノ木峠の方が利用されるように変わってしまう。
中世から今に至るまで北国街道と言えば栃ノ木峠経由で、新旧の北国街道の交点が木ノ芽トンネルの出口でぶつかる。
(06.07.02.撮影)
木ノ芽トンネル(福井県南越前町・旧今庄町)

7世紀頃まで大和地方を拠点としたヤマト王権は、福井・滋賀県境に横たわる山脈の南側までを領土としていたと言われている。
「福井県は近畿か、北陸か」あいまいな印象を受けるのは、木嶺より南側と北側で歴史的に培われてきた文化圏が分かれるためである。
この山脈より南側の嶺南(若狭)地方が近畿圏で、北側の北嶺(越前)地方が北陸圏であり、福井県はその両地方を含んでいる。
文化を分けるほど気候や風土を変えてしまうのが、この木嶺である。
木嶺を越える最初の官製の道路「官道」は、木ノ芽峠を越えるルートを採用された。
車が通れるようになったのは2004年に木ノ芽トンネルが開通してからである。
トンネル開通により嶺南と嶺北を結ぶ道路が1つ増えて、R8の代替ルートとして使えるようになった。
(06.07.02.撮影)
木ノ芽峠の麓・最奥集落の新保地区(福井県敦賀市)

古代北陸道を引き継ぐR476は、敦賀市内を通り敦賀湾に注ぐ木ノ芽川に沿って走っている。
古代の木ノ芽峠の下を通る木ノ芽トンネルを抜けると、木ノ芽川の上流部の新保地区に出る。
木嶺の山々の1つ、鉢伏山から流れ出る木ノ芽川は、新保地区で棚状の田んぼを潤しながら敦賀市内へと流れて行く。
(06.07.02.撮影)
次回は、敦賀市内へと向かって行きます。
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2011.01.23
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大井…大井松田IC…R246…御殿場…R138…箱根…R1…小田原…R1(箱根新道経由)…沼津…R414…伊豆…R136…三島…R1…箱根…R138…御殿場IC…東名…自宅
昨夜、車中泊場所を探して、御殿場から富士山のほうへ登りかけて、
路端の気温計が「-6度」となっているのを見て、
こりゃ、車中泊は無理だ…
と、寒さに脅されて、しぶしぶ帰ってきました。
やっぱり、寒いね。
電源が勝手にON/OFFになるコタツ城。
電源がOFFの時の留守番ネコ。
座布団の上で丸くなってました。
ま、じっとしてりゃ、
そのうちまた、あったかくなるよ。
2011.01.16
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自宅…首都高…芝浦…R130…浜松町…R15…大森…R131…羽田空港…R131…大森…R15…横浜…R1…横浜…R16…横浜町田IC…東名…中井
港や空港が終点になっている国道もあるんです。
東京近郊にもいくつか。
R130は、浜松町から東京港、
R131は、大森から羽田空港。
どれも短い国道。
R130は、歩きながら、国道撮影。
明日もどこかで撮影するんで、
これから夜通し走ります。
写真は羽田空港ターミナル。
2011.01.15
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電源を自動的に、
入れたり消したりを、
繰り返しやってくれる、
5000円もするタイマーをかませて、
留守番ネコの、
ハイテクな、
コタツ城の完成。
じゃ、留守番よろしく。
しばらくはついてるけど、
あと1時間で消えちゃうからね。
で、また5時間後につくからね。
2011.01.15
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久しぶりの遠征に四国に行ったら、雪。
雪の高速道路を避けて遠回りしたら、今度はそこが雪。
帰りに兵庫の未走破国道に寄ったら、そこも雪。
諦め切れずに戻ったら、帰りの京都で渋滞。
まあ、裏目に出ることが多かった、今年の年越し遠征。
でも、そんな裏目のゴタゴタも、夢中になると楽しかった。
どうやら今年は裏目を楽しむ年になりそうだ。
早速、今日の仕事始めも裏目からスタート。
でも、そこにもいろいろと収穫はあった。
裏目も楽しい。
写真は、我が家の車庫から侵入してきた、近所のネコ。
僕に気を取られて、キティちゃんのブランコに、頭をぶつけてったよ。
あんたも裏目か?
2011.01.04
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