日光街道と利根川

徳川家康が江戸(今の東京)に幕府を移したとき、利根川は東京湾に流れていて、江戸はその河口の氾濫域にあった。
水害常習地のこの地に幕府を置こうとした意図は諸説あるが、家康はこの氾濫域を克服する土木工事を行った。
利根川の中流域にあたる現在の渡良瀬・古河付近で川の流れを変える工事を行って、利根川の河口を今の銚子に移した。
これによって江戸は水害から守られるようになり、江戸が発展していった。
同時に、利根川は東北の勢力が江戸への侵入を阻む、天然の外堀の役割も果たしたとされる。
したがって、幕府は、利根川に橋をかけるのには慎重であった。
日光街道が栗橋で利根川を渡るところにも橋は無く、当時は船で渡した。
従って、栗橋側にも、対岸の古河側にも、船待ちの宿場があって栄えた。
日光街道は、東海道や中山道とともに、幕府が整備を進めた江戸五街道の1つで、日光東照宮まで続く重要な街道だ。
同時に宇都宮までは奥州街道と重複しており、現在は国道4号がそれを継承している。
(06.03.19.撮影)
利根川橋

かつては利根川を船で渡していた日光街道は橋が架けられ、現在は上下線で別の橋が架けられている。
下り線は、大正13年に関東大震災復興事業で架けられたもので、利根川に架かる現役の橋の中で、最古のものと言われている。
橋中央部はトラスであるが、橋脚の数が多いのが特徴。
その後、交通量が増加したり、車が大型化したことなどにより、上り線用に橋を架けた。
さらに、国道4号自体が、交通量が増えてしまったことで、新4号バイパスが別に作られ、そちらが渡る橋は「新利根川橋」と呼ばれ、本橋よりはるか下流にある。
下り線用の古いトラス橋は、老朽化の進行と、多くある橋脚による出水時の障害により、撤去・架け替えされることとなった。
写真はその工事が進められているところだが、トラス橋はまだ供用されている。
土木近代化遺産にも指定されているトラス橋は、古河市側で保存されることになっている。
(06.03.19.撮影)
大きな地図で見る
スポンサーサイト
2009.08.27
| コメント(2) | トラックバック(0) | 関東の国道
5月に定期点検に出したばかりのワンダーランド号。
それから3ヶ月、1万5千キロを走った…
点検時には正常だったところが、
やはり、徐々にボロが出てくる。

1)泣きの後輪ブレーキ
定期点検時に異常はなかった後輪のブレーキ。
「ブレーキパッドは、まだまだ残存ですよ」
と言われて放って置いたのですが、
やはり、摩耗。
「おじいちゃんが乗る自転車」級のブレーキの泣き具合。
パッドの交換時期が来ました。
2)隠しスピードメーター
速度計を照らす電球が玉切れ。
これじゃ、夜間はメーターが見えないです。
エンジン音と、流れる風景で、なんとなく速度感はつかめるのですが、
スピード違反で捕まる前に、修理です。
3)鈍るセルモーター
国道撮影時、2キロ走って、車を停めて、エンジンを切る…
計算上、50キロ区間の撮影では、25回、エンジンを始動させます。
これだけセルモーターを回せば、劣化してきます。
セルを回してからエンジンがかかるまで、約2秒。
かかるだけ、まだマシなので、
かかるうちに、セルを何とかせねば。
4)タイヤ交換
タイヤは、「乗り心地は悪いが、耐久性バツグン」のものをチョイスするのが鉄則。
転がり係数も小さくてエコでもあります。
そして、「急」が付く加速・減速・コーナリングを控えて、
ちょっと高めに空気圧を設定すれば、タイヤは長持ちします。
通常言われる交換時期は、4万キロ。
「耐久性タイヤ」に「エコドライブ」で、7万キロ使いました。
ようやく、溝が無くなってきたので、交換してあげます。
というわけで、明日、ワンダーランド号は、
定期点検とは別に、
イレギュラーの点検のためにドック入りします。
2009.08.22
| コメント(2) | トラックバック(0) | 走破日誌2009年

留守番女王のララさん。
生まれてこのかた12年、
留守番以外の仕事はしたことが無い、
ということくらいしか自慢がない、
留守番ネコなのですが、
このたび、留守番のし過ぎの過労により、
体調を崩しました。
直接の原因はよく分からないのですが、
水のようなものを吐く、
風邪のような症状です。
急きょ、動物病院に連れて行って、
獣医さんに見てもらいましたが、
熱もないし、問題はないから、
またひどくなるようなら、
薬をやって下さい、
とのこと。
ほとんど毎日、
留守番ばかりで寂しい思いをさせているので、
たまには、面倒みろや!
っていう体を張った抵抗だったのかな?
ごめんよ。
でも人間様も忙しいのだよ。
明日あたり、畳の部屋で、
「太の字」になって添い寝しますか…
今日は食欲も取り戻して、元気です。
2009.08.21
| コメント(4) | トラックバック(0) | 国道部員
人類が「自由に、いつでもどこでも、移動することができる」という権利を得た時から、
交通を科学し、交通がもたらす正負の影響を科学し、
交通の最適解を求めた結果、その1つに「バイパス」という答えが出た。
しかしそこへ、交通がもたらす負の影響の大きさが、やはり無視できず、
再考を求められる時代になっている。

山形県鶴岡市 国道7号バイパス
バイパスによって交通の流れが変わることにより、旧市街地は衰退し、
旧市街地の騒音問題が解決する一方で、バイパス沿道の環境は破壊され、
多額な事業費がかさんで、採算がとれなくなり、
他の公共交通機関の衰退によって、交通弱者が発生したりする。
他にも、負の側面は、挙げればたくさん出てくる。
一般に交通は、
「通行する人(受益者)」と「沿道の人・環境(負担者)」の利害がしばしば対立する。
交通問題の解決のために、
都市計画的なアプローチがあったり、
環境政策的なアプローチがあったり、
経済学的なアプローチなどがある。
でも、「自由に、いつでもどこでも、移動することができる」という権利をどう考えるか、
という哲学的なアプローチは、あまり耳にしない。
むしろ、移動する権利は自由であることで豊かな社会が実現されている、
と見るのが普通であろう。
昔は、関所があって、交通が制限されていた時代もあった。
軍事的な目的での制限だったようだが、
その時代は庶民の生活は豊かではなかったのだろうか?
一方で、現在は、
自由に移動できる健常者もいれば、
自由に移動できない弱者もいて、
交通の格差社会を生んでいないか?
もしかしたら、「移動の自由」が、
諸悪の根源かもしれない…
そうは言っても、「移動の自由」がある社会の中で、
どうすれば、最善の交通を作れるかを考える方が、
人類がやるべきことかもなあ…
…と、やたら車の流れの速いバイパスを眺めていて、思います。
2009.08.18
| コメント(6) | トラックバック(0) | 国道男2009年
« | ホーム |
»