国道476号 丁坂から見渡す大野盆地

湧水あふれる大野盆地(福井県大野市)
R476_0406
大野盆地は、加越山地越美山地白山山地などの1300~2000mの山々に囲まれている。
盆地の中は、九頭竜(くずりゅう)川の本流のほか、支流が多く流れ込んでいて、扇状地を作っている。
盆地を囲む山々は、冬季は雪雲がぶつかって、大野盆地は日本有数の豪雪地帯になっている。
雪解けの水が川に流れ込んで、扇状地では伏流水となって地下にもぐると、今度は湧水となって湧き出てくる。
この豊富な湧水が城下町の文化を育くみ、いまも酒や味噌、醤油等の醸造が盛んだ。
この盆地から発するR476は、中丁地区の集落を過ぎると、飯隆山を越す丁坂(ようろうさか)と呼ばれる峠に差し掛かる。
峠からは大野市街とそれを囲む山々、足下にある線状の中丁集落を見渡せる。
(10.09.19.撮影)

R476の紹介はここで終わり


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2011.03.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸の国道

国道476号 海路と陸路の要衝都市・敦賀

旧北陸本線の線形(福井県敦賀市)
R476_012
北陸本線敦賀・今庄間を貫く長大な北陸トンネルが1972年に開通した。
その後、この廃線跡の線形を使って、5年後の1977年に北陸自動車道が開通した。
敦賀今庄を結ぶ木ノ芽峠は、こうして鉄道・道路ともに改良されていった。
これに派生的に整備されてきたのがR476で、鉄道と高速道路に挟まれながら、敦賀へと向かっていく。
写真の川が木ノ芽峠から流れてくる木ノ芽川で、左手に高速道路のよう壁、川を挟んだ対岸にJR北陸本線がある。
北陸本線は、この辺りに北陸トンネルの坑口があり、今庄側までの13,870mの長いトンネルとなる。
(06.07.02.撮影)

敦賀平野(福井県敦賀市)
R476_006
入り組んだ海岸線が続く若狭湾の中でも、比較的広い平地を持つのが敦賀平野で、木ノ芽川笙ノ川などの川が流れ込んでいる。
平地と言っても谷と海岸線が近く、扇状地が続く平地だ。
豊富な地下水を使った工業も発達していて、一時期は木ノ芽川などの水質汚濁が問題となっていた。
写真の余座地区の集落は、谷口から解放された木ノ芽川が作る平坦地で、水田が多い。
(06.07.02.撮影)

敦賀港貨物線(福井県敦賀市)
R476_002
敦賀は古代より、畿内や瀬戸内等にもつながる琵琶湖舟運日本海とを連絡する要衝でもあった。
現在でも日本海側の各地を結ぶ海運の拠点地で、ロシアへの定期航路もあり、日本海を囲む国々を迎える玄関でもある。
かつては、ウラジオストク航路東京を結ぶ欧亜国際列車と呼ばれる特別列車も運行されていて、その線路が貨物線として利用されてきた。
コンテナ革命で鉄道貨物に代わってトラック輸送になり、2009年には貨物列車の営業が終了した。
この貨物線の跨線橋を越えると、敦賀の中心市街地に出て、R476はR8旧道との交点が終点。
(06.07.02.撮影)

次回は、R476大野盆地まで大戻りします


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2011.03.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸の国道

国道476号 廃線跡を覆った国道

木ノ芽川の沢が養う水田(福井県敦賀市)
R476_042
福井県を大きく二分する木嶺(もくれい)は、古代から交通の難所であった。
畿内と北陸とを結ぶ重要な街道・北国街道(北陸道とも言う)は、時代によって何度もルート替えされた。
その交通路整備の最も初期の7世紀頃は、敦賀から木ノ芽川沿いに遡って木ノ芽峠を越えて今庄に入るルートだった。
木ノ芽川の上流部がひっそりとしているのは、その後のルート替えによって、人の往来が減ってしまったからだろうか。
小さな谷にわずかな集落と水田があるのが、上流部の新保地区だ。
(06.07.02.撮影)

鉄道駅のあった葉原の集落(福井県敦賀市)
R476_034
中世以降、人々の往来は木ノ芽峠から西寄りの栃ノ木峠に移った。
さらに、鉄道、自動車の社会となって、またして木嶺を越えるルートが変わる。
木嶺日本海になだれ込む急峻な地形のため、鉄道敷設にはトンネルを幾つも貫く難所であった。
1896年に、すでに往来のあった山中峠の直下を通すように、北陸本線が開通した。
トンネルが連続し、急勾配の区間でスイッチバックも点在した区間だ。
その北陸本線も、雪害や土砂崩れなどの被害が絶えず、1972年に北陸トンネルを開通させて、旧線は廃止された。
この葉原地区にも駅があり、これより今庄側への廃線跡は車道(県道)として使いながら保存している。
敦賀側は、残念ながら北陸自動車道国道476号が覆いかぶさるようにして消えていった。
(06.07.02.撮影)

アスファルトに覆われた新保駅跡(福井県敦賀市)
R476_026
木嶺を越える交通は現代になってトンネルで解決されるようになり、北陸本線の旧線が廃線になった。
その廃線跡をたどるように、北陸自動車道の下り線と国道476号があり、カーブの線形もほぼ同じ形だ。
高速道路の大幅な造成によって消滅した遺構もあるが、橋梁などは国道がそのまま使っているところもある。
写真は、道路の路肩が広くなっている箇所で、新保駅があった場所だ。
アスファルトに完全に覆われて、駅があったことの面影は全く無い。
残された橋梁なども、車道としては幅員が狭く使いにくいため一部は架け替えられている。
道路奥の壁は高速道路の遮音壁で、国道と高速道路が寄り添いながら、廃線跡をたどっている。
(06.07.02.撮影)

新保駅跡の碑(福井県敦賀市)
R476_028
道すがら、写真を撮りながら走っていて、たまたま車を停めた場所がこの石碑の前だった。
車で通り過ぎれば、ここに旧北陸本線があったことなど知らないままであっただろう。
そして、こうやって、この記事を書くことができる
「2kmおきに車を停めて写真を撮る」の醍醐味の1つ、「偶然の発見」がここにある。
(06.07.02.撮影)

旧北陸本線のトンネル遺構(福井県敦賀市)
R476_020
廃線跡をそのまま道路に転用するには、幅員や高さ制限などの問題があって、さほど簡単な話ではなさそうだ。
葉原より今庄側の廃線跡は、トンネルの遺構をそのまま車道として転用して、近代遺産として活用しながら保存している。
しかし、敦賀側の廃線跡は、無惨に放置されている箇所も多い。
写真のトンネルは鉄道トンネルの遺構だが、堂々と右側を道路が通っているのが面白い。
当時は崖地の端にトンネルをわざわざ作ったにも関わらず、今は苦もなく崖を造成して車道を造れる、ということが分かる。
(06.07.02.撮影)

次回は、さらに敦賀中心部の終点へと向かって行きます。


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2011.02.01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 北陸の国道

国道476号 古代北陸道・北国街道の木ノ芽峠

旧美山町から少し飛んで、木ノ芽峠のあるR365交点から終点の敦賀市内まで紹介します。

新旧の北国街道(福井県南越前町・旧今庄町)
R476_052
7世紀の大化の改新で日本全土統一が図られるとき、木嶺と呼ばれる険しい山脈を越えて北陸地方にアクセスするルートとして、木ノ芽峠が整備された。
そして、木ノ芽峠経由が官製の古代北陸道として使われるようになった。
しかし、中世になると、余呉まで舟運が使えるようになり、R365が継承している栃ノ木峠の方が利用されるように変わってしまう。
中世から今に至るまで北国街道と言えば栃ノ木峠経由で、新旧の北国街道の交点が木ノ芽トンネルの出口でぶつかる。
(06.07.02.撮影)

木ノ芽トンネル(福井県南越前町・旧今庄町)
R476_051
7世紀頃まで大和地方を拠点としたヤマト王権は、福井・滋賀県境に横たわる山脈の南側までを領土としていたと言われている。
「福井県は近畿か、北陸か」あいまいな印象を受けるのは、木嶺より南側と北側で歴史的に培われてきた文化圏が分かれるためである。
この山脈より南側の嶺南(若狭)地方が近畿圏で、北側の北嶺(越前)地方が北陸圏であり、福井県はその両地方を含んでいる。
文化を分けるほど気候や風土を変えてしまうのが、この木嶺である。
木嶺を越える最初の官製の道路「官道」は、木ノ芽峠を越えるルートを採用された。
車が通れるようになったのは2004年に木ノ芽トンネルが開通してからである。
トンネル開通により嶺南と嶺北を結ぶ道路が1つ増えて、R8の代替ルートとして使えるようになった。
(06.07.02.撮影)

木ノ芽峠の麓・最奥集落の新保地区(福井県敦賀市)
R476_046
古代北陸道を引き継ぐR476は、敦賀市内を通り敦賀湾に注ぐ木ノ芽川に沿って走っている。
古代の木ノ芽峠の下を通る木ノ芽トンネルを抜けると、木ノ芽川の上流部の新保地区に出る。
木嶺の山々の1つ、鉢伏山から流れ出る木ノ芽川は、新保地区で棚状の田んぼを潤しながら敦賀市内へと流れて行く。
(06.07.02.撮影)

次回は、敦賀市内へと向かって行きます。


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2011.01.23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸の国道

国道476号 福井豪雨の被害・旧美山町

今日から、R476を紹介します。今回は国道撮影の初期の作品から。平成16年福井豪雨から2ヶ月後の様子。

上味見川の傷跡(福井県福井市・旧美山町)
R476_002
平成16年7月18日未明から昼前にかけて、福井県嶺北地方に集中豪雨が襲った。
九頭竜(くずりゅう)川の支流、足羽(あすわ)川流域にあたる旧美山町で時間雨量96mmを記録し、足羽川の堤防が決壊した。
旧美山町(当時は合併前)では、足羽川や支流などが増水し、橋や法面が流され、家屋の浸水被害も出た。
写真は、足羽川の支流・上味見(かみあじみ)川で、川の増水で河岸の法面が流されている。
(04.09.18.撮影)

上味見川取水堰(福井県福井市・旧美山町)
R476_004
上味見川は、上味見地区の集落を過ぎると、足羽川に合流するまで、平地の無い渓谷を流れる。
この渓谷に沿って走る国道は、上味見地区と中心市街とを結ぶ生活道路だ。
渓谷には発電用の取水堰があって、小さな堰堤と管理小屋がある。
北陸電力の管轄になっている小さなダムだ。
管理小屋に渡る橋は流され、管理小屋も流木にからまっていて、現在は補修されている。
(04.09.18.撮影)

足羽川の増水位(福井県福井市・旧美山町)
R476_005
上味見川に沿って下ってきた国道は、足羽川を渡って丁字の交差点に出る。
写真は足羽川を渡るR476の橋(橋名不明)で、ガードレールや柵が倒されている。
上流から来た流木などが当たって倒れたもので、下流側に傾いている。
被災当時は少なくとも、この辺りまで水位が上がったことが伺える。
(04.09.18.撮影)

東河原地区・町道橋梁の落橋(福井県福井市・旧美山町)
R476_007
足羽川に架かるR476の橋のすぐ上流には、町道の橋が架かっていたが、増水によって橋桁が落ちて流された。
写真では、土嚢が積んであるあたりが、町道の橋が架かっていたところだ。
河岸に沿う道はR476で、沿道の建物にも浸水被害が出ている。
(04.09.18.撮影)

次回は、美山町から少し飛んで、木の芽峠から敦賀市までを紹介します。


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2010.12.25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸の国道

国道291号 中越地震で寸断された国道の復旧

2004年に発生した新潟県中越地震。
この地震で不本意にも有名となってしまった「山古志村」。

この山古志村を通る国道291号は、村の生活を支える重要な道路だ。
この辺り一帯は、第三紀層という地滑りの発生しやすい地質にあって、地震時に多くの地滑りが発生した。
国道もろとも土砂が押し流されて国道が寸断された。

この土砂は、村を流れる芋川の流れもせき止めて、天然ダムができてしまった。
この川を渡る国道も、橋が架け替えられた。

村の復興には、まず国道291号の復旧が待たれ、被災後1年後になってやっと、一般車の通行が可能となった。

↓↓一般車の通行が可能となった復旧直後のR291↓↓


この2004年の苦難を乗り越えた国道291号には、もっと昔に、乗り越えた苦難があった。

それは、1933年のこと。
村人たちが、手掘りでトンネルを掘った「中山隧道」。

村の南部に位置する小松倉地区の人々は、いくつかの峠を越えて市街へ越える不便さから、トンネルを掘る決意をする。
村の人々が交代でトンネルを掘り続け、1949年に日本最長である875mのトンネルを完成させた。
手掘りのトンネルであったため、軽自動車でもやっと通れるくらいの幅員だったが、このトンネルの開通によって、急患の患者を輸送できるなどの多くのメリットが得られた。

そして、1998年に新・中山トンネルが完成するまで、この手掘りの中山隧道が国道291号に指定されていた。
新しいこのトンネルが出来たことが、逆に、2004年以降の復興作業に大いに役立ったことは、動画中の復興車両の多さで分かる。


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2009.03.24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸の国道

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国道、港湾、河川、都市を回る家出人

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